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色々なこと

ふみふみこのさきくさの咲く頃という漫画がある
この作品は畝傍山という山に囲まれた町で暮らす主人公澄花とその幼馴染の双子を描いたいわゆるティーン物なのだが、主人公はラストに町を出る幼馴染を見送り一人残る 楽しかった昔を思いだしながら終わってしまうとても閉塞感に満ちた物悲しいエンディングなのだ

悪の華という漫画の主人公、春日高男が住む町も群馬にある山に囲まれた小さい町だ この狭い世界にいることに日々悩み追い詰められ限界を迎えた春日は山の向こうに何かがあることを信じるようになる
これらは出た者と残った者の対比的な物語なのだと思う 

さきくさの咲く頃にはこんなセリフがある
『ここはもうずっとそうや 自然にかこまれて人のいい人がよけおって いいとこで 人のうわさがすきで 爪弾き者にはうるさくて 窮屈で 息がつまる このままここにおったら山に押しつぶされてしまいそうになる』
 いくら世界が広くとも澄花にとって知ってる世界とはこの町だけ 自分は何になるのか 進学で町を出ようとしていた主人公は直前でやめて町に留まることを決める このときの心情は読み解き難い

一方悪の華にも似たようなセリフは出てくる
「あたしは奈々子を引き止められなかった。あたしはあんた達を追い出した。どうして?何で?
あたしはどうすればよかった?・・・あたしは置いてけぼりだ。この町に閉じ込められて・・・ずっと・・・嫌だ・・・」
(春日の元クラスメイト 木下の台詞)

結果として町の外に引っ越すことになった春日だったがあれほど望んでいた何かは山の向こうにもなかった そんなある日春日の祖父が倒れあの町に戻ることになったのだがそこで元クラスメイトの木下と出会う その時彼女もこの町に囚われた一人だったことを春日はこのセリフで知るのである 

『・・・死ぬ。おじいちゃんは死んでいくんだ。この町で生まれて、この町で死んでいく。
本当は僕もそうだったんだ。この町・・・この町とは一体なんだろう?』

春日のこの問いはきっと多くの人が思春期に体験したことで、言いようの無い恐怖に潰されそうになり山の向こうの「何か」を夢見る これは読者にとっての自分なんだと思う
 着地や演出は違えど何者でもない自分への不安、息の詰まる思いへのテーマは同じだったんじゃないか
自分はこの二つの作品に救われたしそしてそんな人は決して少なくないのではないか と思った